「アートとそうでないモノの
境界線ってどこにあるんだろう?」
なにをもってアートとそうでないモノを分けているのか?
アートとはそもそもなんなのか?
深く考えれば考えるほど答えが出ない問いに対して
今回はアートの定義について考察していきたいと思います。
アートの定義ってなに?
『結論から言うと明確な答えはでませんでした』
その理由についてこの後解説していきますが
アートを定義づけることはいろんなところで議論されていて
博学な人達が考えても難しい問いである事は間違いありません。
ただ、そうした中でもアートについて深く考える事で
自分自身の価値観とその他大勢の価値観の差異を確認する事は
アーティストにとってとても重要な事になると思うので
この記事では明確な部分とそうでない部分とを分けて考え
僕なりのアートの定義というものをお伝えしていければと思っています。
◆アートの対義語とは
『Artの対義語はNatureです』
「芸術」と反対の意味になるのが「自然」という事から
「アートは不自然なもの」という解釈もできますし
「自然に人間が手を加えて別のかたちに変えたもの」という捉え方もできます。
自然の力に頼りながら生きてきた人間にとって
自然は「偉大なもの」であり「絶対に太刀打ちできないもの」でもあります。
自然の力によって生かされると同時に、その脅威に怯える場面もあり
地震や大雨、雷、山火事など、自然の力を人間の力へと
転換する方法を考え形に変えてきました。
そうなると自然の摂理を人間の力で便利な世の中へと
変化させてきたこと事態がアートであるとも考えられます。
もしかしたらアートとは
そうした人間ではコントロール出来ない部分を
感情や創造物によってコントロールできるように変化させたモノが
アートと呼ばれるようになったのではないでしょうか。
だとすると、世の中のほとんどのモノがアートであると位置付けられます。
実際にいろんな場面でアートという言葉は使われていて
アートの要素はあらゆる分野で必要とされている事から
人間にとってなくてはならない存在である事は間違いないと思います。
◆アートの存在意義
『アートは気付きを与えてくれるものです』
大昔から振り返ってみると
アートは伝達手段として使われていました。
古代の壁画などで後世に文化を伝える為に
絵と文字で表現したり
土器や芸術的な装飾を施した建物など
機能性だけでなく「美」を追求してきた歴史があります。
そこには人間特有の「表現の自由」があり
創造力を膨らませて「誰かに何かを伝える手段」として用いられてきました。
そうした芸術には人間の感情が込められていて
言語以外の絵やモノを使うことによって
言葉以上に想いや感情を伝えられるという
伝わる量を増やす役割をアートは担っています。
それによって共感や疑問などの気付きを与えてくれる最大のツールであると
昔から人間は知っていたことから
時代を超えて今でもアートが使われていると考えられます。
時代によって変化するアートの存在価値
『一定数の人が認めれば、アートでなかったものもアートになります』
アートの定義は時代によって移り変わり
固定観念に縛られた時代から時が経つと共に
本質へと近づいてきているように感じます。
それこそ絵画で写真に近づけようとリアルに描いていた時代のアートの定義と
現代アートに価値を感じている人が増えた現代の定義とでは
「アートって何?」という問いに対して答えは全然違ってくると思います。
ピカソの絵が多くの人に批判されたように
デュシャンの作品に否定的な意見を述べていたように
新しい流れを創った先駆者達はアートの定義そのものに変化を与えてきました。
今はあらゆる手法を用いて作成されたアートが存在し
多くの人が賛否両論ありながらもアートとして認識しています。
このようにアートの定義は時代によって変化し続け
「アートとは自由なもの」という本質へと近づいているように思います。
その自由な表現から生まれるた作品が
時代に合わせて多くの人から認められる事によって
アートとしての新しい存在価値が生まれるのではないでしょうか。
そして、今までの事から僕が思うアートの定義とは
「時代に合わせて変化するものであり
自由というアートの本質へと近づいていく中で
表現の方法を突き詰めて導き出した作品」
であると考えます。