こんにちは。「熊内孝之のART×BUSINESS会議」を運営している熊内孝之(くまうち たかゆき)です。
芸術家支援を目的とした会社「ObeOlys & co(オーブオリースアンドカンパニー)」を経営しながら、自らも画家として活動し、数十名の画家の方々と一緒に置き型絵画インテリア「rococoro(ロココロ)」を販売しています。ブログ運営、画家の支援活動、フリーランスでのウエディングプランナーや企業コンサルティングなど、自分でも「今日は何の仕事をしているんだっけ」と一瞬わからなくなるくらい手を広げていますが、不思議とストレスはなく、むしろ毎日が充実しています。

正直に言うと、僕は芸術学校の出身でもなければ、絵の知識があったわけでもありません。絵を描く画家の知り合いすら、一人もいませんでした。そんな僕が、なぜ今こんな生き方をするようになったのか。今日はその道のりを、できるだけ飾らずにお話ししたいと思います。

THEゆとり世代、野心のかけらもなかった青年時代
兵庫県神戸市育ちで、裕福でもなければ貧乏でもない、いたって普通の家庭で、特別な苦労もなく育ちました。
小学校、中学校、高校、大学と、誰もが通るレールの上を、疑うこともなく平凡に歩いてきました。親からは「いい大学に入って、いい会社に勤めれば一生安泰に暮らせる」と教えられて育ったので、今、その教えを見事に裏切るような働き方をしているのが、自分でも不思議で仕方ありません。
社会に出るまでは、野心のかけらもない、THEゆとり世代そのものでした。絵の知識もなければ、画家の知り合いも一人もいない。結婚して子どもがいて、自由に使えるお金があるわけでもない。そんな、ほとんどゼロからのスタートでした。
やりたいことやアイデアはあっても、それを形にすることの難しさに、何度も苦悩する日々を過ごしました。「1円を稼ぐのって、こんなに大変なことだったのか」——本気でそう思ったのを、今でも覚えています。
普通の人なら簡単に越えられるはずの壁の高さでも、何も持っていなかった僕にとっては、一歩進むごとに立ちはだかるそのひとつひとつが、まるでエベレストのように高く、険しく感じられました。それでも振り返ってみれば、そんな状況の中にも人生を変える転機がいくつもあって、そのチャンスを必死につかんできたからこそ、今の自分がいるのだと思います。
人生の分岐点だった、沖縄での2年間

最初に就職したのは、これからブライダル事業を立ち上げようとしていた会社でした。もともとブライダル業界に憧れていた僕は、その目標に胸を躍らせながら入社したのですが、運の悪いことに、入社した年はまさにリーマンショックが起きた年。入社からわずか1カ月で、その立ち上げ計画自体が白紙になってしまったのです。
上司からは「熊内には酷な話なんだが」と前置きされたうえで、「提携先の会社がリーマンショックの影響で倒産してしまった」と報告を受け、正直かなり落ち込みました。ただ、その直後にこう続けられたのです。
「その代わり、沖縄に新しいリゾートホテルを立てるから、その新規立ち上げに行くのはどうだ?そこならウエディングもあるし、最初はフロント業務だけど、チャンスがあるかもしれない」
深く考える間もなく、僕は「沖縄に行きます」と即答しました。今振り返ると、おそらくここが人生最初の、そして最大の分岐点だったと思います。もしあの時、別の選択をしていたら、今とはまったく違う人生を歩んでいたはずです。
赴任先のホテルは、各部屋にオーナーがいるコンドミニアムタイプという、当時の日本ではまだ珍しい形態のホテルでした。そのため、経営者や投資家の方々と直接話す機会が驚くほど多く、地元神戸で会社を経営している方や、海外と日本を行き来しながらビジネスをする経営者、毎日を自由に謳歌しているような投資家など、それまでサラリーマンの働き方しか知らなかった僕にとっては、「こんな世界があったのか」と価値観が根底から覆されるような日々でした。
中でも一番大きかったのは、経営者たちの「考え方」そのものに触れられたことです。お金持ちと呼ばれる人たちのマインドは、一般的な感覚とはまったく違うものばかりで、話をするたびに自分の思考のクセを改めさせられました。この沖縄での2年間に出会った起業家の方とは、今でも交流が続いていて、お互いの近況を報告し合う関係は、僕にとって何ものにも代えがたい財産になっています。
半年間の暗黒時代——鬱になった営業時代

起業家精神の芽を持ち帰った僕は、わずか2年でホテルの仕事を辞め、実家に戻りました。そこでまず「ビジネスの基本である営業をこの目でしっかり学ぼう」と決意し、営業会社への転職活動を始めます。
今振り返れば、この判断自体は間違っていなかったと思います。この経験があったからこそ今の自分がある、と心から思えるからです。ただ、当時のその選択は、僕の人生の中でもっとも辛く、もっとも苦しい時期を招くことになりました。
転職先は、電話機や複合機を飛び込みで売る、いわゆるゴリゴリの営業会社。しかもブラック中のブラックでした。朝4時30分に起きて始発電車に飛び乗り、出社して朝礼とロープレをこなしたら、すぐに外へ出て朝から晩まで営業活動。夜になれば再びロープレと説教が待っていて、終電で帰り、また翌朝の始発に乗る——そんな毎日の繰り返しでした。
先輩社員からは容赦のない罵声を浴びせられ続け、心と体が少しずつ、しかし確実に病んでいくのがわかりました。もともと体力には自信があり、多少きついことは覚悟のうえで飛び込んだつもりでしたが、実際に経験してみると、そこにあったのは苦しみ以外の何物でもありませんでした。
電車に乗るだけで手足が震え、人と会うことすら怖くて出来なくなる。誰の目にも明らかな鬱状態でした。周りに支えてくれる人が多くいてくれたことだけが、唯一の救いでした。それがなければ、正直どうなっていたかわかりません。たったの半年間でしたが、あの期間はまさに、僕の人生における暗黒時代でした。
それでも今なら言えます。あの時に学んだ営業のノウハウや考え方、そして味わった挫折の経験は、時間が経った今だからこそ、心から感謝できるものになっています。
ウエディングプランナー時代と、人生を変えたヨーロッパ旅行

心が病んでしまってから数カ月は、まともに働くこともできず、完全な休養期間を過ごしました。それでも人間、時間が経てば少しずつ回復していくもので、人と会い、話をしていくうちに、失いかけていた熱い気持ちを少しずつ取り戻していきました。
再び動き出そうと決めた時、もともと興味のあったブライダル業界に転職し、ウエディングプランナーとして新たなスタートを切ります。「営業を学ばなければ」という目標を軸に置いていたこともあり、老若男女さまざまな人と関わることができるウエディングプランナーという仕事は、僕にとってこれ以上ないほど最適な環境でした。
営業、マーケティング、スケジュール管理、人材育成——数え切れないほど多くの経験をさせてもらいました。決して楽な仕事ではありませんでしたが、人生でもっとも幸せな瞬間に立ち会わせてもらい、お客様からたくさんの「ありがとう」をいただける、とても充実した毎日を送ることができました。
そしてこの時期、僕の人生にとってもうひとつの大きな転機が訪れます。結婚です(その後、子宝にも恵まれ、今では4人の子どもの父親になりました)。
新婚旅行で訪れたのは、イタリアとフランス。この旅先で出会った光景が、今のビジネスを生み出すきっかけになりました。

街を歩けば、そこかしこに芸術品が溶け込んでいて、画家が当たり前のように路上でライブペインティングをし、画廊が街の風景そのものを彩っている。その景色があまりにもキラキラと輝いて見えて、目に映るものすべてが新鮮でした。
「こんな世界が、この地球上に本当にあったんだ」
心の底から湧き上がる、嬉しいとも楽しいとも言い表せない、なんとも言えない高揚感を今でもはっきり覚えています。
「日本にもこんな環境があったらいいのに」 「どうして日本では、絵を飾るという文化がここまで根付いていないんだろう」 「アートをもっと広めるには、いったいどうすればいいんだろう」
湧き上がる問いを抑えきれないまま、僕はアートの分野で起業することを心に決めました。準備を重ね、ビジネスを練り上げ、必要な資金と情報を集め、30歳の時に独立を果たします。
ObeOlys & coと「rococoro」誕生——「アート=非日常」を変えたい

2017年、ObeOlys & coを設立しました。軸に据えたのは、「芸術家支援」と「芸術(アート)への関心の拡大」の2つです。
ヨーロッパでは、家を買うときに「机を買う、ソファを買う、テレビを買う、絵を買う」というように、アートを生活必需品のひとつとして扱う文化が根付いています。一方、日本ではアートに興味があっても、それが生活にまで浸透していないのが現状です。絵を壁にかけることに漠然とした抵抗を感じたり、そもそも絵とは高級品・贅沢品であって自分には縁のないものだと思い込んでいたり、そもそもアートに触れながら育つ環境自体がなかったり。その結果、「アート=非日常」というイメージが、日本人の中に強く根付いてしまっているのだと僕は感じています。
そしてもうひとつ、見過ごせない事実があります。「アートが普及していない」ということは、裏を返せば「画家が絵を描くことだけで生活できない」という厳しい現実の表れでもある、ということです。ストレス社会と言われる日本だからこそ、心を豊かにするアートの文化がもっと必要なはずなのに、その循環がうまく回っていない。

この2つの課題を同時に解決するきっかけになればと考えて生まれたのが、置き型絵画インテリア「rococoro(ロココロ)」です。作るうえで、僕は次のような仕掛けを込めました。
- 壁にかけなくても飾れる「置き型」にすることで、日本人特有の心理的なハードルを下げること
- 「絵画=高級品」というイメージを払拭するために、あえて手の届きやすい価格帯に設定すること
- rococoroが売れるたびに、その画家本人にコミッションが入る仕組みにすることで、画家自身の活動の後押しになるようにすること
- 画家の想いや制作活動そのものを見てもらえる環境を用意し、これまでアートに興味がなかった人でも気軽に触れられるようにすること
「今までアートに興味がなかった人にも、もっと気軽にアートに触れてほしい」——ただその一心で作った商品でした。
まったく人脈のない状態からのスタートだったので、正直、最初は本当に苦労しました。どうやって画家の方と出会えばいいのかすらわからず、画家の知り合いを作るために、まったく面識のない画家ばかりが集まる飲み会に飛び込んだこともあります(当時の僕は画家でも何でもない、ただのビジネスマンでした。今思い出すと苦笑いしてしまいます)。それでも画家の方々とのリアルな交流を重ねるうちに、少しずつ元気と信頼をいただけるようになっていきました。
そうして少しずつ協力してくださる画家の方が増えていき、今では作品数も400作品を超えるまでになりました。今では逆に、画家の方から「rococoroに参加させてほしい」とお声がけいただけるようになったことは、当時を知っているからこそ、本当に感慨深いものがあります。
無料での個展や合同展の開催、「日本の芸術は すごい」というコンセプトを掲げたYouTubeでの発信も続けています。ただ単に制作風景を見せるだけの動画ではなく、画家自身の想いを日本語と英語、歌と言葉に乗せて、日本国内はもちろん海外にも届けたい——そんな気持ちで一本一本を作っています。毎月、多くの画家の方から連絡をいただけるようになったのは、何ものにも代えがたい喜びです。少しずつではありますが、確実に仲間が増え続けていることを、心から嬉しく思っています。
支援する立場から、自ら描く立場へ
こうして画家を支援する活動を続けるうちに、僕自身の中にも「自分でも描いてみたい」という気持ちが、少しずつ、しかし確実に芽生えていきました。誰よりも近い場所で画家の方々の想いに寄り添い続けてきたからこそ生まれた、自然な衝動だったのかもしれません。

今では支援する側であると同時に、自らも一人の画家として筆を取っています。サラリーマンやフリーランスとして培ってきたビジネスの経験と、ObeOlys & coを通じて数え切れないほどのアートに触れてきた経験。この2つが自分の中で融合したとき、「新しいイノベーションを起こせるのではないか」「ビジネスを通じてアートの普及ができるのではないか」——そう強く感じるようになりました。

ビジネスの経験とアートの経験を両輪で回しながら歩んできた僕自身が、実際に何を感じ、何を表現しようとしているのか。それを一番リアルに、飾らずに伝えられるのは、やはり自分自身の作品なのだと思っています。
起業して見えた景色

起業してから、出会う人の顔ぶれがガラリと変わりました。それまでの僕の周りには、かつての自分と同じような考え方の人しかいませんでしたが、今では主体的に自ら行動している人たち(ある意味、少し変わった人たちとも言えます)ばかりが自然と集まるようになりました。

違う考え方を持つ人たちと関わり、吸収していく中で仲間も増えていきましたが、当然ながら、良い時もあれば沈む時もありました。それでも、実際に行動していなければ絶対に「見えていなかった景色」であることは間違いありません。

正直に言えば、決して順風満帆とは言えず、どちらかと言えば、うまくいかないことのほうが圧倒的に多いです。それでも、その失敗のひとつひとつが自分の血肉になり、いつか誰かに語れる「ストーリーの一部」になっていくと思えるようになってからは、ほとんどの出来事を前向きに捉えられるようになりました。
もちろん人間なので、落ち込む日は今でもあります。それでも「なんとかなる(なんとかする)」という感覚だけは、以前の自分よりも確実に強くなったと胸を張って言えます。
これから成し遂げたいこと

これから先、少子高齢化、日本経済の悪化、そしてAIによる働き方の大きな変化——いろいろな要素が組み合わさって、これまで以上に格差が広がっていく厳しい時代がやってくると、僕は予測しています。そんな時代を、僕たちはどうやって生き抜いていけばいいのか。不安で眠れない夜が来る前に、今、自分にできることは何なのか。
その答えを導き出す可能性を秘めているのが、アートとビジネスの融合だと、僕は本気で信じています。これまで積み重ねてきた活動と、これから挑戦していくことを情報として発信しながら、誰もが安心して仕事ができる環境を、少しずつでも作っていきたいと考えています。

正直に言うと、アートを広めた先に何が待っているのか、今の僕にはまだわかりません。変化のスピードがこれほど速い現代では、1年後の未来を正確に予想することさえ難しいと思います。ただ、ひとつだけ確信を持って言えることがあります。それは、アートは僕たちが思っている以上に大きな力を持っている、ということです。
アートはどんな国であっても存在し、戦争が起きても、革命が起きても、天変地異ですべてが跡形もなくなっても、何千年もの間、絶えることなく受け継がれてきました。それは日本であっても例外ではありません。
そして、AIによって時代が大きな転換期を迎えている今この瞬間でも、人の心に直接訴えかけるアートは、間違いなく人間にしかできない領域として残り続けるはずです。独自の文化を歩んできた日本だからこそ、アートが本当の意味で広まったとき、大きく変わる可能性を秘めていると、僕は考えています。
だからこそ、僕はこれからもアートという分野に、力を注ぎ続けていきたい。その先にある未来を、自分自身の目で見たいと思うと同時に、その未来を自らの手で創っていくことに、心からワクワクしています。おそらく、このワクワクこそが原動力になって、誰よりも自分自身に期待しているのだと思います。
自らアートの分野で世界とのパイプを作り、芸術家が生きやすい環境や、フリーランスという働き方が当たり前になるような社会を実現できるように——第一線で活動していく中で、僕の歩みが誰かにとっての道しるべになれたら、これほど嬉しいことはありません。
もし、僕のこれからの活動に興味を持っていただけたり、この生き方に少しでも共感していただけたりしたのであれば、心から嬉しく思います。何か質問や気になることがあれば、ぜひSNSをフォローしてダイレクトメッセージで連絡してください。必ずお返事します。
支援する側から、描く側へ。僕自身の作品も見てほしい

TK-Artギャラリー 熊内孝之本人が描いた作品を展示・販売しているショップです。画家を支援する立場としてではなく、一人の表現者としての僕自身の絵を、ぜひ直接見ていただけたら嬉しいです。 👉TK-Artギャラリー

rococoro(置き型絵画インテリア)|obeolys shop こちらは僕個人の作品ではなく、数十名の画家たちと一緒に作り上げてきた「アートを日常に」というプロジェクトの結晶です。壁にかけずに飾れる置き型の絵画を、ぜひご自宅にも。 👉rococoro(置き型絵画インテリア)|obeolys shop

